集積所

てきとうに文章を書いたりします

11/16 良い事

 

 

 

バイト先の店長は、会う度に「最近いいことあった?」と私に尋ねる。

私は決まって、「まあ…ないですね」と半笑いで答える。

店長は、私が半笑いでこう言うのをただ見たいがためだけに、答えが最初から分かりきっている質問をするのだと思う。

 

私はというと、聞かれるたびに一度は頭の中で「良い事」があったかどうかを思い出そうと試みているが、結局あまり思い出せずにないと答えている。

 

ただ、思い出せないだけでたぶん「良い事」はある。

例えば、なぜだかわからないけど夢の中ですごく落ち込んでいた時に、ずっと隣で頭を撫でてくれた人がいたとか、なぜか大皿に大盛りのナポリタンをたらふく食べ続けたこととか、中くらいの船で世界一周したりとか。

 

夢の中では良い事ばかりなんだけれど、一方で店長は、ある日私に悪い夢を見たと言ってきた。

夢の中では、私が店で何かミスをして、店長が怒ったら私が泣き出して店を出て行ってしまったらしい。

 

私は何も悪くないけど、なんだか申し訳ない気持ちになって、なんかすみませんと言った。

 

「でも、店長は私の泣くところを一回も見たことがないはずなのに、夢に出てくるなんてなんか面白いですね。」

私はそう言ってから、どんな風に泣いていたんですかと興味本位で聞いた。

 

「なんか手で顔を抑えてウッウッって感じで、顔は見えなかったから本当に泣いてるのかどうかはわからなかったけど、なんか私が泣かせたみたいですごい嫌な気分だった気がする。」

店長はそういうと、夢の中での私の泣き真似をしてみせた。

私は少しムッとして、そんな泣き方しないですよと反論したけど、実際はそんな感じかもしれないと思って視線を逸らした。

 

「でも、その後なんかすごいスッキリした顔で帰ってきて、大丈夫?って聞いたらもう大丈夫ですって言うから、なんか良い事でもあったのかなって。誰か慰めてあげたりしたのかな」

 

 

 

それから何日か後、本当に店でミスをして店長に怒られた。

その日はちょっと落ち込んでいたので、また夢の中で「良い事」が起きるように祈りながら、布団を被った。

 

 

 

 

 

 

9/17 言い訳と日記

 

約2ヶ月間あった夏休みももう終盤に差し掛かっている。(やばい)大学院生にとっての夏休みとは長期間研究に没頭できる良い機会だが、現実はそう上手くはいかない。(やばい)

 

アルバイトを全くせずに大学生活を送る学生はあまりいないだろう。かくいう私も、夏休みは大体週3〜4、多い時はほぼ毎日バイトをしているので(生活費や制作費を稼ぐ為)、1週間のうちで制作できる時間は限られている。

5月頃から始めたクライミングジムのバイトは、今までやってきたアルバイトの中でも1番やりがいと楽しさを感じていて、苦手な接客業もクライミングを通して少しずつ慣れてきていると思う。

アルバイトが制作の延長になることは物作りをする学生にとっては珍しくないが(デザインや作品設営のバイトなど)、ジムのバイトは全くそのような考えで始めたわけではなく、むしろ美術とは離れた場所に自分の居場所を見つけようと思っていた。しかし、いつの間にかクライミングや山に関する制作やリサーチをするようになった。

 

元々の私の関心の奥底にはそのようなものがあったのかもしれない、ということに制作を通して気づかされることは多い。今考えているのは自分の一挙手一投足における意思の所在で、それはクライミングを通して気づいたことでもあるし、幼少期の経験や記憶とも関わっていると思う。

 

制作と生活が切り離されることは私はないと思っていて、というのも前述したように私自身が切り離せていないからというのもある。私の理想は、何かを作る(文章でも絵でも映像でもなんでも)ことを、食べることや寝ることと同列に置き、それがなおかつ生命活動自体に負担や違和感を与えないようなものになることである。(パターソンという映画が私は好きだ)

全てを犠牲にして研究をする、制作をするという人を私は凄いと思うし尊敬するけれど、そうではない、持続可能な自分に合った制作を学生生活を送りながら見つけていきたいと思っている。

とはいえ、こんなに時間があったのにも関わらず終わっていないことが多すぎるのでつべこべ言わずに頑張ろうと思う。

 

 

身体と場所

 

 

私が初めて自身の身体を力強く認識したのは、5歳の頃に両親と一緒に八ヶ岳連峰の1つである赤岳に登頂した時だ。赤岳の頂上は、2899m。八ヶ岳連峰の中で最高峰である。幼い頃の曖昧な記憶のはずなのに、頂上に到達したときの地面、空気、高さ、全てを鮮明に覚えているような気がする。そして、これらの要素が自分の身体が頂上に存在しているということを強く自身に刻み付けていた。幼心にも、自分の脚で”その場所へ行く”という行為をその時初めて自分の身体で認識したのだと思う。

 

それから約20年弱が経った、学部2年のタイミングで私は自身の足で歩くという行為ができなくなった。幼少期からの持病により手術を受けざるを得なくなり、春休みのタイミングで1ヶ月半ほど入院した。
手術後は1週間ベッドの上での生活で、医者からの指示で上半身を起こすこともできなかった。1週間という短くも長い時間、私は歩く、ましてや地面に足をつくということすらできなかったわけだが、まるで歩くことのできない赤ん坊の時に戻ったような、しかし歳を取って衰弱し動けない老人になったような、過去であり未来である(かもしれない)なんとも不思議な感覚になった。


その後、リハビリが始まった時に手術後初めて地面に足をつけた。なんの変哲もないただの大学病院のリハビリ室で、両足をつけて立った時、私は赤岳の頂上に立った時のことを思い出した。そして、自身の身体がそこにある、ということを身体を使って初めて自覚したあの時と、身体を自分の力で動かす事を意識的に行うリハビリという行為が重なっていることに気づいた。山登りは、その場所、地形に合わせて身体を動かすことに、日常生活以上に意識的になる行為だと思うが、リハビリテーションも、地面、床、階段、坂、などの場所を自分の身体に意識的に力を加えて動かす行為であると、約半年ほどリハビリをしていて感じた。


国際障害者世界行動計画の定義によれば、「リハビリテーションは、身体的、精神的、かつまた社会的に最も適した機能水準の達成を可能とすることによって、各個人がみずからの人生を変革していくための手段を提供していくことをめざし、かつ時間を限定したプロセスである。」とある。これを読んだ上で、私の幼少期の山登りという行為が、人生を変革していくためのきっかけ、手段、つまりはこれから長い年月を生きていく上でのある種のリハビリテーション〈rehabilitation〉であり、「身体と場所」に意識的になる機会であったことは確かだったのだろうと思う。

 

※都市と芸術の応答体2021(RAU)に応募したときに提出した文章です

 

 

 

 

 

 

私と兄の罪

 

昔住んでいた家に警察が来ていた。

私と兄はダイニングテーブルに紅茶とクッキーを用意して、刑事を迎え入れた。

 

先日亡くなった■■■君についてなんだけど、と刑事は言った。同じ学校だよね、何か知ってることはないかな、などと言いながら、多分私たちを疑っているんだろうということはすぐわかった。

兄は、少し喋るくらいの仲でしたけど、■ヶ月前から様子がおかしいなとは思いました、などとしらばくれ、私もそれに同調するように頷いた。

続けて私は■■■についての情報をもう少し話して、さも詳しいことはこれくらいしかわからないということをアピールしようかと思ったが、ボロが出そうでやめた。柔らかそうな人柄の刑事の目つきが、奥の方で鋭くなっていたのを感じたからだ。

 

私たちは■■■を殺したらしい。それは間違いなく事実だ。しかし、どうやって殺したのかはわからない。なぜなら私たちが直接手を下したわけではないからだ。

自ら命を絶った■■■以外にもこれまで何人もの人間が、私たちのいる学校で死んでいる。

全員私たちが殺した。

だけど、わからない。どうやって殺したのかも、なぜ殺したのかも。

だったらどうやって私たちが殺したということが証明できようか。

私は兄に言われるがままにずっと動いてきたけれど、その行為が殺人またはそれに準ずるような行為であったことは一度もない。

だから、自分でも理解していない私の罪を隠して必死にしらばくれているのだ。なんて滑稽なんだろう。

 

暫くすると刑事はまた来ますと言って部屋を去った。私は少し安堵し、兄にどうするの?と尋ねた。これまで警察が学校に来ることはあっても、刑事が私たちの家まで来ることは決してなかったから、きっと誰か私たちが怪しいということを警察に証言したりしたんだろう。

兄と私は少し声を小さくして、あの学校はもうやめようか、引っ越そうか、はたまた燃やそうか、などと相談した。

その時、玄関のドアがガチャっと開いた。私は身体をビクつかせながら、刑事が戻ってきたのかと怯えた。

しかし刑事ではなかった。義父が酔ってフラフラで帰ってきただけだった。

動悸が少しおさまった。安堵のせいかいつもよりいっそう義父を手厚く介抱した。お父さん、大丈夫ですか、お夜食にしましょうか。私は義父をお父さん、と呼んでいた。外はまだ明るかった。

 

 

何日か過ぎて、私は1人野原で考え事をしていた。兄はなぜあんなことをしているのだろうか、なぜ詳しいことを私に教えてくれないのだろうか。

奥の方では戦争が始まっていた。小さな小さな領土を巡るくだらない戦争だ。私はもっと近くで見ようとして歩みを進めた。空は重たく、今にも落ちてきそうだった。

銃撃戦を目の前にして、それをぼーっと眺めていると、雨が降ってきた。

すると、そこにいた何万人もの兵士のうち半数以上が、バタバタと倒れ眠りについていた。穏やかで幸せな夢を見ているような表情だった。

残った半数はというと、驚きもせず、そこに立っていた。そして、おもむろに自分たちの頭を掴み引っ張り、何かを脱ぐようにもぞもぞと動き始めた。そうすると、彼らの皮膚は全身スーツのように脱げ、中からは青白く光る人間を模した得体の知れない生物が出てきた。それらは、人間の皮を脱ぎ捨てると一方向に歩き始めた。ふと上を見ると、そこには空を覆い隠すくらいの船のような物体が浮かんでいて、青白く光る生物はそれに向かって宙を歩いていた。

空に浮かんでいる船からは、歳をとった男性の低い声が聞こえた。なんと言っていたかは覚えていない。ただ、地球上の多くの人間はいずれこうなるということを言っていたような気がする。

 

それが本当なら、私はなんなのだろうか。雨に打たれても眠らず、しかし皮は脱げず。

兄はこれを知っていたのだろうか?私たちの犯した罪はこのことと関係があるのだろうか?

全人類がいずれ空の船に乗り込んで、地面に皮だけが残り、それを死だというのなら私たち兄妹はなぜ彼らを殺しているのだろうか、私たちは何者なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベランダの花

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マンションのベランダで園芸をやっていて、

マリーゴールドとか、アジサイみたいなやつとか、バラみたいなやつとか、黒真珠?っていうちょっと高いやつとかを寄せ植えして育てている。

 

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大きい鉢植えの方に、ネモフィラを植えていたんだけれど買った時からあんまり元気がなくて、目を離した隙に全部枯れてた。

仕方ないので枯れたものは全部切ってきれいに整えた。ネモフィラが植えられていた部分だけ土が露出してぽっかりと空間ができた。

 

三浦市にソレイユの丘という大きい公園みたいな場所があって、季節によってたくさんの種類の花が咲いている。ちょうど2年くらい前、ネモフィラの花畑が綺麗な頃に母親と2人で訪れた時、私はまだ杖をついていた。

広大な敷地を歩いて回るだけでも結構疲れるのに、杖をついていると通常のスピードの半分くらいでしか歩くことができない。

しかしその分視線を動かすのも遅くなる。普通に歩くより、目に映るものが良く視界に入ってくる。小さなネモフィラも、ひとつひとつ数えられるくらいゆっくりと歩いた。

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当時の写真を見返すと、あまりいい写真が残っていない。両手で杖を持っているから、スマホを取り出して構えて、いい構図を見つけて撮るというのも疲れる動作だった。

それでもネモフィラは元気に咲いていた。

ベランダのネモフィラは、枯れた。私がよく見ていなかったからだ。

 

 

皆がすなる日記というものを(?)

 

ここでは私の生活を書き起こしてみたり、全くのフィクションを書いてみたり、頭の中身を整理整頓するために文章を書いたりする。日記は毎日書けたら書く。

 

 

大学院に入学してもう2ヶ月が経つ。同じ研究室の同期や先輩とはしっかり仲良くなれてると思う。(思う)

私は制作をする人で、レポートなどの形式に当てはめる文章を書くのに慣れていないから、修士論文を書いて卒業する人たちにどうやって書くのかとか、そういうのを聞きたいけど、でもまだ他の研究室の人とは仲良くなれてないので話しかけられない。仲良くなりたい。

 

研究室の先輩に、「私はみんなと仲良くしたい!」みたいなオーラがめっちゃ出てると言われた。

たしかに、あんまり嫌いな人とか出来ないし、なんだったら私のことをあからさまに傷つけてこない限りは、割とみんな同じくらい好きと言える。でもそれは裏を返せば誰のことも好きじゃないってことだよと言われたことはある。

 

電車の中でこれを書いてる時に,ドアが閉まる音が誰かの大きなくしゃみに聞こえてびっくりした。プシャンッ!!みたいな音。もしかしたら本当に誰かがくしゃみしてたのかもしれないけど、スマホの画面しか見てなかったからわからなかった。

 

今日は24時までに提出するレポートが終わってなかったから大学のスタジオで終わるまで残って書いてた。同期は何日か前に書き終わってたらしい。すごい。

おかげでこんな時間になってしまった。明日は朝からバイトで、終わったらギャラリーに行こうと思っている。バイト着をまだ洗ってないことに気づいた。朝までに乾くかわからない。