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久保⽥成⼦における「ヴァギナ」の復讐と勝利について

久保田成子における「ヴァギナ」の復讐と勝利について

 

はじめに

久保田成子と聞くと一番初めに思い出すのは、『Vagina Painting』とそれに関する久保田のオーラル・ヒストリーである。ここで、『Vagina Painting』は久保田が自らの意思で行ったパフォーマンスではないことが久保田の口から語られた。このパフォーマンスの後、久保田は自らの作品やテキストでしばしば「ヴァギナ」についての言及をするようになった。そこから、久保田にとっての「ヴァギナ」の勝利とはなんなのか?また、復讐とは何への、または誰への復讐なのだろうか?という問いが浮上した。

本論では、東京都現代美術館で開催された《Viva Video! 久保田成子展》をなぞりながら、『Vagina Painting』(1965)と『ヴィデオ・ポエム』(1974)、それに付随した久保田の論考などを元に、「ヴァギナ」が久保田にとってどのようなものだったのかを論じる。また、久保田の作品やテキストの中で頻出している「ヴァギナ」、そしてその「勝利」と「復讐」に焦点を当て、久保田にとっての「ヴァギナ」、そしてその「勝利」と「復讐」とは何だったのかということを、作品とテキストから読み解きたい。

 

1.

2012年1月15日に公開された久保田成子オーラル・ヒストリー[1]で、久保田は『Vagina Painting』(1965)についてこう語っている。

 

手塚:ご自身でその頃パフォーマンスとかそういうのはされてたんですか。

久保田:私はそういうタイプじゃないもの(笑)。

手塚:そうですか?

久保田:見てわあわあ言う方で(笑)。

手塚:でも1965年ですよね、フルクサスのサマー・フェスティバルで、いわゆる《Vagina Painting》をやられたのは。じゃあ、それが初めてのパフォーマンスだったんですか。

[1] 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ

ニューヨーク市マンハッタン、久保田成子自宅にて
インタヴュアー:手塚美和子
書き起こし:金岡直子
公開日:2012年1月15日
更新日:2018年6月7日

http://www.oralarthistory.org/archives/kubota_shigeko/interview_01.php

 

久保田:でもあんなのはその、戯れみたいなもんで。自分を彫刻家と思ってたから。ちょっとこの人たちと違うなって思ってた。

中略

手塚:じゃあ、あのパフォーマンスはそれ一回のみで。

久保田:ええ、もうあんまり興味なかったんですよ。あれはもう、やれやれって頼まれてやったんで。もうしょうがない。

手塚:そうなんですか。それはマチューナスに頼まれてやったんですか。

久保田:ナム・ジュンにもマチューナスにもね。私のほんとにやりたいことじゃなかったから。だからその後ちょっと距離を持ちましたよね。

手塚:フルクサス自体と。

 

このように、『Vagina Painting』が久保田本人の意思のもとで行われたものではなかったということが、インタビューの中でわかった。図1はジョージ・マチューナスが撮影したパフォーマンスの記録写真である。

『Vagina Painting』は、フルクサスのイベント「永続的なフルックス・フェスト」において披露されたパフォーマンス作品である。女性器(ヴァギナ)に装着した筆で敷かれた紙の上を動いて描くというパフォーマンスで、実際のパフォーマンスを見た久保田の仲間達の証言によれば、広報用の写真は下着に筆を取り付けたものを使用しているが、本番は実際に筆を女性器(ヴァギナ)に挿入していたと推測される。[2]

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図 1 ジョージ・マチューナス撮影、1965

[2] viva video 久保田成子展覧会図録p.25

本番で実際に女性器に筆を挿入していたのかは明らかにされていないが、パフォーマンスを実際に見た人物の証言から推測することができる。本論の4章で、その1人である靉嘔がそう語っていることを引用している。

 

2.

『Vagina Painting』において、久保田のヴァギナはナムジュン・パイク、ジョージ・マチューナスの2人、つまり男性のツールとして扱われていたようにみえる。

Art in the Makingの第五章、Tooling upでは久保田の『Vagina Painting』についての記述がある。ここでは、このフェミニスト的なパフォーマンスについて久保田は、女性の身体に付随する生産性の問題に対しての理解を、改良された画材によって巧みに変えて見せたと論じられている。久保田本人の意思が発端となり始まったパフォーマンスであればこのように記述することは不可能ではない。しかし、2人の言われるままにやれと言われたからやっただけという久保田の発言から、また『Vagina Painting』以降の久保田の作品から、「ヴァギナ」というものが持ち主の手から離れ、持ち主以外の人間によって表現や議論のツールとなっていく過程が見えてくる。つまり、『Vagina Painting』においての「ヴァギナ」は完全に久保田の手を離れたものとなり、そこでは女性の身体が持つ生産性の問題が女性抜きにして語られるような場が生まれている。そしてそれと並行して語ることができるのは、久保田の『Vagina Painting』以降の作品や運動から、「ヴァギナ」は次第に久保田の手に取り戻されていったというような見方もできるということだ。

3.

『Vagina Painting』以後の作品で、ヴァギナにについて直接言及がある作品の一つに、『ヴィデオ・ポエム』(1974)(図2)というヴィデオ彫刻がある。

風で膨らむ袋から、久保田のセルフポートレートの映像が見える初期のヴィデオ彫刻であり、背後にはスライドで下記の詩が映し出されている。

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図 2  viva video! 久保田成子展、筆者撮影

ヴィデオは女性器(ヴァギナ)の復讐

ヴィデオは女性器(ヴァギナ)の勝利

ヴィデオは知識人たちの性病

ヴィデオは空室のアパート

ヴィデオはアートの休暇

ヴィデオ万歳……

 

袋の中に映る映像は、久保田がポータパックを入手した最初期に撮影されたものである。

 

私は何も好きこのんでソニーのヴィデオ・ポータパックを背中にかついでいるのではない。しかし、日本の古典的な女性が背中に赤ん坊を背負ったように、赤ん坊も生めない現代の女性は、何を背中に背負うことができるのか。[3]

 

久保田にとってポータパックが一つの重要なツールであったことは間違いない。また、ヴィデオ・ポエムに付随するものとして、『ヴィデオ生活の背後で』というテキストがある。

 

男性は思う。「我思う、ゆえに我あり」。

女性である私は感じる。「我出血す、ゆえに我あり」。

近頃私は毎月ハーフインチ……3Mまたはソニー製……で1万フィートの長さの出血をする。

男性は毎晩私を撃つ=撮る……私は抵抗できない。

私は真っ昼間、露光過多で燃え上がるヴィデオまたはTV撮像管で、男性を打ち=撮りかえす。

 

ここでは、女性が毎月経血を出さざるをえない「ヴァギナ」がソニー製のポータパックに置き換えられ、撮られたヴィデオは流れる経血に喩えられている。

一般的に生理というものは、多くの女性から嫌われるものである。理由は言うまでもなく、それが痛みを伴い女性の身体に大きく影響を与えているからだ。しかしながら、初潮を迎えるとわけもわからないまま赤飯を炊かれ、自身の「ヴァギナ」から初めて血が流れました!ということを家族や親戚にアピールすることになってしまう。生理に関しておおっぴらにされた後、社会は掌を返したようにそのことについてできるだけ隠して生活するように、女性に強要する。そして、出産というタイミングで再度「ヴァギナ」が晴れて表舞台に登場するというわけだ。「ヴァギナ」や生理の役割というものはそういったものとして捉えられてきた。

そのような文脈の中で「ヴィデオ・ポエム」を読み解いていくと、久保田は「ヴァギナ」や生理それ自体を否定することなく、女性の身体に付随する生産性の問題から脱臼させようと試みていたと見ることができるのではないだろうか。そして、赤ん坊も生めない現代の女性は、背中に何を背負うことができるのか、という問いにたいして、いわゆる女性の生産性が社会から押し付けられたものであり、そのような機能を持っていない(あるいはそのように機能することを女性自身が望まなくても)「ヴァギナ」でもヴィデオを生み出すことができるという応答でもあると考えられる。

ソニー製のポータパックが久保田にとってはツールでありながらも、出産するという目的以外で(「ヴァギナ」=)ポータパックがあり、ヴィデオを生み出し、客体ではなく主体となって男性を撮り返す(ヴァギナを取り返すとも読めるかもしれない)ものとして存在するのではないか。

 

[3] 久保田成子「ヴィデオ-開かれた回路」、『芸術倶楽部』第9号、1974年6月30日発行、173-181頁、viva video!久保田成子展展覧会図録収録。

4.

話は『Vagina Painting』に戻るが、京都市立芸術大学芸術資源センターが公開している、靉嘔のオーラル・ヒストリー[4]の中で、当時のフルクサスのパフォーマンスついて靉嘔自身が語っている部分がある。

 

ヤリタ:ヴァギナペインティング。

靉嘔:ヴァギナペインティングね。それなんじゃないですか。それの挿し絵なんじゃないですか。

柿沼:そうなんですか!

靉嘔:成子は何もしなかったけど、それだけしたんだよね。後で「おなか痛い、おなか痛い」って。痛いだろうねえ(笑)。

柿沼:ねえ。パイクさんが「やれ」って言ったらしいですね、それ。

靉嘔:まあそうでしょうね。

 

「成子は何もしなかったけど、それだけしたんだよね。[5]後で「お腹痛い、お腹痛い」って。痛いだろうねえ(笑)。」とある。この話がどの程度正しいのか、靉嘔の記憶が定かかどうかは知る余地がないが、パフォーマンスから生み出された痛みは少なくとも久保田の「ヴァギナ」というヴィデオの源のようなものからは発しえないものであったことは間違いのないことだと言える。「ヴァギナ」というものは単なる生産性を孕んだものではなく、所有者自身のものでありそれが何を生み出すのか「ヴァギナ」の所有者のみが決定することのできるものだということを考えるならば、なおさら『Vagina Painting』は久保田のフェミニズム的な考えからはほど遠いものになってしまっているように見える。

ヴ(・)ィデオ芸術は、ヴ(・)ァジャイナのヴ(・)ィクトリーであり、ヴ(・)ェンジェンス(復讐)である。

ヴィデオ芸術は、その繁殖化と腐蝕化において、インテリの頭脳の反VD(反性病)である。[6]

 

論考の中でも、作品の中でも久保田は、このようにヴィデオ芸術は「ヴァギナ」の勝利であり、復讐であると繰り返し語っている。「ヴァギナ」の復讐とは、『Vagina Painting』における傍観者と社会への復讐であり、勝利とは、久保田自身の「ヴァギナ」が久保田の手によって取り戻され、「ヴァギナ」自体が女性の身体に付随する生産性の問題から離れ芸術を生み出す源として存在することを社会に提示したことであったのではないかと考える。

 

[4] 靉嘔 オーラル・ヒストリー

2014年6月28日 靉嘔アトリエにて インタビュアー:ヤリタミサコ柿沼敏江 書き起こし:永田典子

https://www.kcua.ac.jp/arc/ar/ay-o-oral-history_jp/

[5] “それ”、とは『Vagina Painting』のパフォーマンス自体のこと。

[6] 久保田成子、前掲書、173-181頁

 

参考文献

1.「久保田成子オーラル・ヒストリー」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、ニューヨーク市マンハッタン、久保田成子自宅にて、http://www.oralarthistory.org/archives/kubota_shigeko/interview_01.php

2. 「Viva Video! 久保田成子展」展覧会図録、河出書房新社、2021
3. 『芸術倶楽部』第9号、1974年6月30日発行、173-181頁

4. 京都市立芸術大学芸術資源センター、靉嘔 オーラル・ヒストリー

2014年6月28日 靉嘔アトリエにて インタビュアー:ヤリタミサコ柿沼敏江 書き起こし:永田典子、https://www.kcua.ac.jp/arc/ar/ay-o-oral-history_jp/

5. リン・エンライト『これからのヴァギナの話をしよう』、小澤身和子訳、河出書房新社、2020